【広報薩摩川内8月通常版】人のとなりに~離島甲子園 甑島選抜チームの監督の思いに寄います~

更新日:2025年08月06日

人のとなりにとは、文字通り、その人の隣にいて、思いに寄り添うことや人柄を表す言葉「人となり」をイメージしたコーナーで、人物や活動の紹介だけでなく、その人の思いにスポットを当てることを目的としています。

濵田航平さん

全国離島交流中学生野球大会(離島甲子園)に甑島選抜チームの選手として出場したのが12歳の時。15年後の2024年、今度は監督として出場することに。
今回は選手と監督、両方の立場で出場し、野球の魅力を島の子どもたちに伝える方の思いに寄り添います。

監督として出場

昨年、仕事の関係で甑島に帰郷した濵田さん。「20代で甑島に戻るとは思っておらず、異動を聞いたときはうれしかった」と言います。仕事が終わると、小学生のソフトボール少年団の練習をサポートしています。
そのような中、離島甲子園に監督として出場しないかと相談があったといいます。まさか自分が監督になるとは思ってもいなかったと話す濵田さん。「野球をやりたい子どもたちと、それに応えている大人がいる環境が、15年前から変わらず続いていることが一番うれしかった。自分も子どもたちの気持ちに応えてあげたい」と監督としてチームを率いることを決心したそうです。監督として初出場した試合では負けてしまいましたが、子どもたちが懸命にプレーする姿や楽しそうにしている姿に感動したといいます。

昨年の大会の様子

昨年の大会の様子

甑島選抜として初出場

平成21年の第2回離島甲子園から出場することになった甑島選抜チーム。出場するきっかけになったのは、野球をする環境。甑島の小学校にはソフトボール少年団がありますが、中学校には野球部がありません。野球をしたくてもできない子どもたちのために何かできないかと、離島甲子園への参加が決まりました。当時中学1年生だった濵田さんはバレー部でしたが、甑島選抜チーム一期生として大会に内野手で出場しました。「試合に勝利することはできませんでしたが、野球の楽しさを体感することができ、野球を好きになるきっかけになった」と話します。

初勝利を目指して

初勝利した時の甑島選抜チーム

初勝利した時の甑島選抜チーム

当時入部していた男子バレー部は3人しかおらず、練習はできても試合に出ることができない状況でした。部員と話し合って「離島甲子園で1勝しよう」と部活動を辞めて野球同好会を結成しました。メンバーは4人でしたが、週5日、自分たちで考えたメニューをみんなで切磋琢磨して練習しました。2年生で出場した時は、惜しくも1回戦で敗戦しましたが、3年生の時に遂に1回戦を勝利し、甑島選抜チームとしてうれしい初勝利となりました。

甑島の子どもたちへ

現在は8月18日開催の第16回離島甲子園に向けて練習しています。子どもたちも他の部活動に所属しているため、練習は木曜日の放課後と日曜日の週2回しかできません。「ほとんどが野球未経験者で大変な部分もありますが、子どもたちも懸命に野球をしているので、できるだけサポートしてあげたい。試合の勝ち負けも大事かもしれないがまずは楽しんで試合をしてほしい。そして他の離島の子どもたちとの試合や交流会を通じて、それぞれの島の良さや考えを聞いて刺激をもらって帰ってきてほしい」と大会への抱負を語ってくれました。

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